かなざわ散歩




「灯台下暗し」
 


金沢は全国的によく知られた観光都市です。しかし、私は地元の人間でありながら、あまりこの町のことを知りません。もちろん、観光スポットである兼六園や武家屋敷がどこにあるかは知っています。しかし、それ以外のこととなると・・・ そこで、地元に住む私自身が金沢の町を知るために、このページを企画しました。

最近、金沢では旧町名の復活ということが積極的に行われております。これは、昭和37年5月10日に施行された「住居表示に関する法律」に基づいて “合理的な住居表示の制度及びその実施について必要な措置” の一環として便宜的につけられた町名から、藩政時代を思い起こさせる昔ながらの町名に戻すという試みです。60歳以上の人にとっては、この旧町名の方がずっと馴染みが良いようです。

最近の例を挙げると、金沢市『広坂1丁目』としていた一部の地域を、『柿木畠』という町名に復活させました。この地は、寛永年間の大火を教訓として防火のために柿の木を植えた場所に由来するものです。金沢市内には旧町名の所在地を示す石柱があちらこちらに設置されており、古い町への思いの深さを感じ取ることができます。管理人の住む地は「巴町」と呼ばれていいたそうです。

金沢のこんなところをまわってほしいとか、あんなところの風景を撮ってきてほしい、というご意見・ご要望があれば、お気軽にメールをお寄せください。 時間の許す限り、この町を歩き回って行きます。



2004年5月17日







忍者寺に行く


[忍者寺]
今年の3月、桜が咲く少し前に名古屋の友人と忍者寺に行ってきました。
忍者寺の名は通称で、「伊賀」や「甲賀」など本物の忍者とは無関係で、正式名称は正久山妙立寺(しょうきゅうざんみょうりゅうじ)という日蓮宗のお寺です。忍者寺の通称は、カラクリ満載の複雑な建物の造りから「忍者屋敷のような寺」であるということに由来しているようです。
このような複雑な造りとなっているのは、外様である加賀藩が親藩である越前(現在の福井県)からの侵攻を想定した一種の出城のような役割を果たした建物で、その内部での戦闘を想定していたからのようです。詳細は、拝観の一番初めに説明してもらえますのでここまでにします。

どんでん返しなどの実際のカラクリもさることながら、これを支える建物自体の工夫の数々に只々「へぇ〜」とうなってしまいました。大掛かりな遊戯施設ではありませんが、ちょっとした不思議空間であり、子供(就学前のお子さんは拝観できませんのでご注意ください)から大人まで楽しめる場所です。金沢の代表的な観光コースに入っていますので是非尋ねてみてください。

家の新築、改築をお考えの方、忍者寺のカラクリをお宅に取り入れてみては如何でしょうか(笑
※お寺の内部の撮影は出来ませんので、写真は境内のみです。

アクセスは金沢駅から寺町方面行きのバスを利用すると便利です。車を利用される方は忍者寺に駐車場はありませんので、予め付近の駐車場(別のお寺の境内など)の場所を確認する事をお勧めします。

忍者寺の拝観には事前の予約が必要です。 直接、妙立寺に電話で予約を入れてから拝観に向かいましょう。予約は1ヶ月前から可能のようです。前日でも予約は可能のようですが、込み具合によっては希望の時間帯に拝観できない可能性もあるので2〜3日前までには予約を入れたほうが良いでしょう。
拝観者が多くなると混雑を避けるために、グループ分けがなされます(1グループ10人くらい)。私たちが拝観したとき(3月末の土曜日午前10時の回)には3グループになりました。グループごとに1人の女性ガイドが付いて、内部を丁寧に案内してもらえます。  忍者寺のHPはこちら。


[西の茶屋街]
忍者寺から徒歩で約10分のところに「西の茶屋街」があります。最近、整備が進んだ場所で茶屋街を象徴する美しい格子の建物を楽しむ事が出来ます。「東の茶屋街」に比べると規模が小さいのですがちょっとした風情を楽しむ事が出来ます。忍者寺とあわせて散策してみては如何でしょうか。

次回更新予定
主計町(かずえまち)界隈




  
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